発端は、先日Twitter(現X)で1人のフォロワーさんと縁を切った事。
とある理由で、ちょっともう無理だなと感じ一人のフォロワーさんをブロ解させてもらった。
それ自体はよくある話。
ブロ解して暫く経ち、今現在自分が考えているのは、もし今後会う機会があったら、どのように立ち振る舞おうか、だ。
とある漫画のコミュニティみたいなものに属しており、その漫画のイベントなんかで会う可能性はそこそこあると思う。
最近は何か考え事をする時、色んな未来を事前に想像して、その相手との対応を想定している。
何故、自分がこのような事をするかというと「失敗」したくないからで。
というのも、他人というのは、当人の「失敗」に寛容じゃない。
友人や好きな相手ならともかく、ブロ解された、拒絶された相手をそれでもよく思える人は少ないんじゃないかと思う。
「自分を否定される」というのは、なかなかに受け入れ難い。
そして、自分のそういう感覚を認識できる人も少ないと思っている。
だから、それが転じて自分に危害が及ばないように、最小限に抑える為に色んなパターンを想定する。考える。
ついカッとなってとか、感情的になって、とかを言わないようにしたいのが自分のスタンス。
ブロ解するレベルの時点で、誰しもそういうものじゃないかと思うけど、そういう場合相手の事を見下していたりする。
言葉が悪いが、自分とは話の通じない存在だと線引きしている。
そうなったらもう自分が不利になる情報を開示しない。
可能な限り相手に良い気分になって帰ってもらう。
そういう考え方でいるので、自分とは相容れないタイプの性格の方はこういう自分の人との関わり方を嫌悪するんじゃないかと思った。
「舐められている」「下に見られている」と思われてもおかしくないんじゃないかと。
確かに自分にもそういう部分はあり「舐めている」「下に見ている」というわけじゃないが、話が通じない相手として一線を引いてるのは対等な目線で相手を見ていない。
何なら哀れみの目ですら少し遠くから見ている。
「この人はここまで考えが及ばないのだろう」と思っている。
こういう人によっては悪い部分と捉えそうな自分のスタンスをどういう言い方ができるんだろうと考えていた。
もしかして、いわゆる「高二病」では・・・・・・???
自分の中である種考えないようにしていたというか、当てはまる選択肢の中から無条件に外していた概念。
しかし、この言葉が頭を過った瞬間、スッと視界が広がったかのような感覚に陥った。
ある種俗っぽい、程度の低いようなそんな言い方。
誰かに言われた事があるわけじゃない。しかし言われてみればしっくりくる言葉で、自分自身それを認めたくなかった気持ちもあるような。
そうだ、俺「高二病」なんだ。
考えた事なかったけど、凄く納得できる。
自分で自分を「高二病」なんて言いたくなかったけど、自分で気付けた事に嬉しさが込み上げる。
もしかしたらもう既に周りからは「アイツ高二病っぽくてイテェ〜〜〜」とか思われてるかもしれないけど、今この時点でそれを自分で気付けたのは凄いんじゃないか!?
この「発見」を得て、少し気持ちが最強になってる。
「高二病」を認識できた俺は強い。他から何を言われようとも「まぁ俺高二病だからそういうところあるよね」って思える。
そもそも「高二病」とは、どういうものか。
高二病とは…高校2年生で発症する事が多い思春期特有の思想・行動が過剰に発現した病状である。多くは年齢を重ねることで自然治癒するが、稀に慢性化・重篤化し、社会生活を営む上で障害となることがある。
https://dic.nicovideo.jp/t/a/%E9%AB%98%E4%BA%8C%E7%97%85
いわゆる「厨二病」の高2版。
厨二病程浸透してない印象だけど、かつて高校生だった自分はこの感覚が分かる。
ラノベの主人公のような立ち位置に憧れるというか。ワイワイした状況をやれやれってテンションで俯瞰して見ていて、いざという時は頼りになる頭の良い男。
「高二」とは言うが、女性には当てはまらないんじゃないかな。
ラノベに憧れた男が意識する感覚。
特徴はいくつかあるのだが、その中でも強く共感したのは「玄人・通を気取り、人気がある・有名な・流行している物や作品を嫌う」「理想や前向きな理屈を綺麗事・ご都合主義と嫌い、逆に悲観的な正論を妥協と好む」だ。
前者は、まさにそういった接し方をよくしていて、好きな漫画がアニメ化して人気になったらあまり好きじゃなくなる逆張りオタクだし、何なら友達に対しても「ミーハーが」って気持ちすら抱いた。
大多数の人間が抱きやすい感情に流される大衆でいたくないのだ。
自分の価値観や信念を大切にしたい。
後者の理想や前向きな理屈を嫌うというのも、今回の発端となった考え方で、自分は「理想」じゃなく「現実」を見ていたいと思っている。
現実に期待したくないからだ。
これまでの人生で色んな事を経験してきて、所詮そういうものと割り切っている。
傷つきたくない。感情と事実で距離を置きたい。
そして、そういう自分を認識して悦に浸っている。
自分がそうなった理由や原因はある程度自分の中で理解できてるつもり。
でもそもそもが「高二病」だった部分も大きいんじゃないかと。
不思議なもので、実際に高2だった頃は、妙に冷めてるような人はどうかと思ってたんだよなー。
例えば学校の行事にしてももっと積極的に参加した方が楽しいのに、良い思い出になるのにとか思ってしまった。
自分に関しては、何故か高2の時より大人になった今の方が高二病。
恥ずかしいが、認めなければいけない。
今後はそういう自分を意識して物を言おうと思う。
ほら、簡単だろ。誰も傷つかない世界の完成だ・・・・・・・(『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』)